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東京高等裁判所 昭和32年(行ナ)52号 判決 1963年9月26日

判   決

フランス国パリ市リユー・ド・バレンチ六九番地

原告

コンミツサリア・ア・ラ・エネルジー・アトミツク

右代表者

ポール・ボールニエール

右訴訟代理人弁理士

杉村信近

杉村暁秀

東京都千代田区三年町一番地

被告特許庁長官

佐橋滋

右指定代理人通商産業事務官

工藤吉正

右当事者間の昭和三二年(行ナ)第五二号審決取消訴訟事件につき、当裁判所は、昭和三七年四月三日に終結した口頭弁論に基いて、次のとおり判決する。

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

原告のため上告の附加期間を一〇カ月と定める。

事実

第一、請求の趣旨および原因

原告訴訟代理人は、特許庁が昭和二八年抗告審判第一九一号事件について昭和三二年四月六日にした審決を取り消す、訴訟費用は被告の負担とする、との判決を求め、請求の原因として次のとおり主張した。

一、原告の本件「エネルギー発生装置」の発明にかかる特許出願は、西暦一九三九年(昭和一四年)五月一日フランス国においてされた特許出願に基く優先権を主張して、昭和一五年五月一日に同年特許願第六二〇四号とされたもので、第二次世界大戦中無効処分を受けたが、昭和二六年三月一五日、連合国人工業所有権戦後措置令第七条第一項第二号の規定により、右出願は回復された。しかし、昭和二七年八月一三日右特許出願は拒絶査定を受け、原告はこれに不服であつたので、昭和二八年二月一二日抗告審判を請求し、同年抗告審判第一九一号として特許庁に係属したが、昭和三二年四月六日をもつて、本件抗告審判の請求は成り立たない、との審決がされ、その謄本は同年五月四日原告代理人に送達された。

二、本件特許請求の範囲およびその出願審査の経過は次のとおりである。

(一)  まず、本件出願当初の明細書(甲第七号証の二)における特許請求の範囲は、次のとおりである。

「ニユートロンの作用を受けてニユートロンを連鎖状に放射し得る物質塊より主として成り該物質を容器内に収容すると共にニユートロンの全部又は一部を略熱的に平衡状態に於て緩慢ならしむべくせるニユートロン減速成分と時として温度高き程基本物質の吸収率よりも高き割合にて減速せるニユートロンを吸収すべくせるニユートロン吸収成分とを前記物質が其の中に均質或は不均質状態にて含有する如く配置し装置の始動時には前記物質塊中に発生するニユートロン又は外部より前記物質塊に到来するニユートロンの作用を前記物質塊に加えこの時の物質塊の温度を略安定状態に維持すると共に発生せるエネルギーを工業用に利用する如く配置せるエネルギー発生装置」

これに対し、審査官は、昭和二六年四月二六日附をもつて、次の拒絶理由を通知した。

ウラニウム、トリウム等にニユートロンを放射せしめて之等の核を分裂せしめること及びエネルギーの発生量を制御する為にニュートロンの速度を低減せしめるか又は分裂物質の吸収率より高き割合でニユートロンを吸収する成分を導入することは出願人も認める様に本出願前公知の事である。本願の要旨はエネルギー発生装置にあるに拘らず本願は単に上記公知の手段を併用してエネルギーを発生せしめる方法を抽象的に記載せるのみに止まり具体的な装置の構造については何等の記載もなく又その実施の態様もないから、本願は未だ発明の完成せざるものと認められ特許法(昭和三四年法律第一二二号によつて廃止された大正一〇年法律第九六号。以下旧特許法とよぶ。)第一条の特許要件を具備せざるものと認める。

(二)  そこで、原告は、昭和二七年一月一七日附意見書(甲第八号証の一ないし四)をもつて、明細書を訂正したが、右訂正明細書(甲第八号証の二)における特許請求の範囲は、次のとおりである。

「放射せる新中性子の通路に於てウラニウム塊の内部に遊離又は化合せる重水又はヘリウムを介在せしめ、その量は核中性子の速度の速度をウラニウムに対する共振速度以下に抑制するに充分なる量とし遊離又は化合せる重水又はヘリウムとウラニウムとの割合はとし(式中nはウラニウムの一分裂の際放射する中性子の平均数、Pはウラニウムの濃度(単位容積当り原子瓦)と該ウラニウムによる熱中性子の分裂に継続するキヤプチユアの有効断面との積、Aは装置内に存在する凡ての物質並に凡てのキヤプチユアに対する前記同様の総ての積の和)ウラニウムに中性子を爆撃せしめてウラニウム塊の原子核を分裂せしめ新しい中性子を発生せしめる事により発生せる熱を任意既知の方法により抽出且収集する事を特徴とするウラニウム塊の原子核分裂によるエネルギー発生方法」

しかし、審査官は、ついに本願を拒絶すべきものとし、前記のとおり、同年八月一三日附で拒絶査定をしたが、その理由は次のとおりである。

出願人は意見書並びに訂正明細書及図面を提出して本願は工業的に利用し得るようにエネルギーを発生せしめた事に発明があると主張しているが、その方法に具体性を欠き出願当初発明完成せるものと認められないから出願人の意見は採用できない。(而して提出の図面は出願当初提出されたものでなく、又その当時完成せるものと認められないから之亦採用出来ない。)

(三)  原告は、右拒絶査定に対し、前記のとおり、昭和二八年二月一二日に本件抗告審判を請求したのであるが、抗告審判官は、昭和三〇年一一月二二日附をもつて、次のとおり新たな拒絶理由を通知した。

原子炉は万一事故を起した場合その災害は甚だ大きいものである。本願発明は実施の態様の説明に於て災害防止の見地から最も大切な、使用する諸物質の精製方法及び使用最適量並に之等物質の中性子による影響、各瞬間に於て発生する中性子の作用等について充分な考慮が払われていないものと認められる。従つて本願の方法はそのまま直ちに産業上に利用する事が出来るものと認め難いから工業的発明と認め難く、従つて本願は旧特許法第一条の特許要件を具備しないものと認める。

そこで、原告は、昭和三一年六月二三日附で、意見書および訂正書(甲第一〇号証の三および二)を提出したが、右の訂正による最終訂正明細書(甲第一〇号証の四、これは前記昭和二七年一月一七日附訂正明細書に甲第一〇号証の二の訂正書による訂正を施したものである。)における請求の範囲は次のとおりである。

「少く共高速中性子を吸収する性質の低い一種又は一種以上の材料より主として構成されモデレーターの一部を形成しない別個の外匣(容器)により反応塊体及モデレーターを包囲して低速中性子の濃度を高め、該外匣内で拡散作用を生じ、然らざれば普通損失となるべき中性子の一部を反応塊体に返還し、該中性子の一部特に高速中性子を更にモデレーターにより低速中性子に変換し、モデレーター(Be, H, De, He, C, O,

パラフイン)により高速中性子を減速し、該中性子を以て天然のウラニウムを衝撃しウラニウム核を分裂せしめる事を特徴とするエネルギー発生装置」

しかるに、抗告審判官も、昭和三二年四月六日附をもつて、ついに、本件抗告審判の請求は成り立たない、との審決をしたのである。

三、右審決においては、本件出願発明の要旨を前記昭和三一年六月二三日附訂正による請求の範囲のとおりのものであることを認定したうえ、次のとおり本件出願を拒絶すべき理由を説示している。

先ず本願発明で使用する諸物質の純度につき、本発明では如何なる注意が払われているかを吟味するに、ダンピング・リクイドについて純度九九・六%の重水を用いると説明するのみで、その他原子燃料及びモデレーターとして用いられるウラン、黒鉛、ベリリウム等については、之等が原子炉の運転に重大なる意義を有するに拘らず、夾雑物として絶対に禁忌すべきものとしては如何なる物質があるか、如何なる純度のものが要望されるか、材料の適否は如何にして判定するか等について全く説明がなされていない。又、上記物質を化合物として使用する場合は如何なる化合物が使用し易いかその幾何量を如何様に使用すべきかについて全く具体的の説明がない。

例えば本文中に「水素、重水、ベリリウムを含む成分を液状、ガス状又は固体状として使用し」と記載せられ、又「粉末ウラン化合物を液状、ガス状の水素化合物と混合し」等と記載せられ如何なる物質を如何なる状態で如何様に使用すべきかを明示していない。更に「ダンパー」及び吸収剤の量の最大値を決定すべき具体例や、当然説明しなければならないウラニウムの臨界質量及びこれと散乱物質(明細書中拡散物質は散乱物質の誤記と認める)の密度との関係を説明するための具体例及び遠隔制御の実際方法の説明がなく、全文の記載が頗る抽象的で之を産業上に利用するには更に研究を加え数多の困難を克服せねばならない事が明らかである。

次に原子炉の構築に使用すべき水管其他の材料についても説明が不充分で、特に災害防止上軽視し得ない中性子のこれら材料に対する影響について何等説明されていない。

その他原子炉の安全運転には分裂の瞬間より少しおくれて発生する所謂遅発性中性子の影響について充分説明しておくことが必要であると認められるに拘らず、これについても充分なる説明が欠けている。

以上論じた如く本願の発明は明細書に記載されたところに徴し、実施の態様に関する説明が頗る不安全で実験的証明を欠き単に抽象的理論乃至希望を羅列したにすぎないものと認める。

従つて本願の装置はそのまま直ちに産業上に安全に利用することができないものであるから、旧特許法第一条に謂う工業的発明と認め難く同法同条に規定する特許要件を具備しないものとする。

四、右審決は、次の理由によつて、違法のものであり、取り消さるべきである。

(一)  まず、審決には、次のように審理をつくさず、理由も具備していない点の違法がある。

本件特許出願の審査および拒絶査定に対する抗告審判審理の経過は、前記のとおりであり、これによつて考えると、まず第一の審査過程において、審査官は本願明細書記載の技術を充分了解することができず、かつ本件出願前公知でない事実をとらえて、あたかも公知であるかのように誤認し、そのため本願明細書の記載が抽象的で具体的な装置の構造が判明しない、として、拒絶理由を通知した。

しかし、本件発明はその出願前すでに実験的設備を完成し、工業的利用の可能性を確かめた結果、特許出願をしたのであるから、原告はさらに詳細図並びに実験成績を補充し、本発明が単に抽象的記述に止まらざることを立証するため、昭和二七年一月一七日附の全文訂正明細書および図面を提出した。しかるに、審査官は、単なる独断により、適確なる証拠を示さないで、「本願方法は具体性を欠き出願当時発明完成せるものと認められない。」とか、「提出の図面は出願当初提出されたものでなく、又その当時完成せるものと認められない。」とか認定したが、いかなる証拠によつて、かかる認定を下し得たのか。また図面の提出についても、元来出願中の訂正は要旨変更にあらざるかぎり、これをなし得るもので、不備なる部分の補足は当然なし得ることは、特許法の定めるところである。

次に抗告審判の段階においても、抗告審判官の審理過程において初審審査官の審査が正当になされたかどうかを調査研究したあとはさらになく、単に本件出願を拒絶せんがための理由を捻出附加したにすぎないように思われる。すなわち、抗告審判官は使用物質の精製方法、その最適量その他各瞬間において発生する中性子の作用等について充分な考慮が払われていない、として、拒絶理由を通知したが、かかる原子炉の安全性については、本願の発明者たる原子学の先覚者らは万一事故を起した場合その災害の甚大なることに対し多大の考慮を払つたことはもちろん、明細書中において、例えばカドミウムを導入して反応を制御し、かつこれを停止し得る装置を示してある。当時すでに建設された原子炉において、この制御、特に連鎖反応を停止することは、中性子を吸収する材料、特にカドミウムの棒又は塊を導入することにより達成され、カドミウム棒が反応を停止するに最も有効なことは実験上証明ずみである。加うるに使用すべき諸物質の精製方法および純度の問題については、でき得るかぎり純粋なものを使わねばならぬことは、当時すでに公知であるから、かかる点を特に強調しなかつたまでのことである。審判官が本件出願の拒絶理由として通知したところのものは、すべて出願当時解決ずみの事項であつて、かかる事由によつて本願を拒絶することはできないものといわなくてはならない。そこで、原告は本件発明の要旨をなお明確にするために、昭和三一年六月二三日附をもつて明細書を訂正したのである。

これに対し、審判官は、審決の理由に列記してあるように、必要以上に微細な各種の条件を追求し、これを全部詳細に説明してないから、本件の装置はそのまま直ちに産業上に安全に利用することができないものである、と断定し、旧特許法第一条に規定する工業的発明と認めない、と審決したのであつて、これは明らかに審理をつくさず、理由を具備しない点の違法があるものといわざるを得ない。

(二)  およそ、発明者はその新規発明が自己の脳裡において実施可能の見込のついたとき直ちに特許出願をすることをつねとし、実施に必要なデーターはその後の実験研究により確かめ得る場合が多い。したがつて、出願当初の明細書には必ずしも細大もらさず、かつ微に入り細をうがつて発明の内容を記載し得ない場合があることは当然で不備の点を補足するため出願中の訂正は従来一般に適法として認められているところである。(ただし、要旨を変更することが許されないことは、いうまでもない。)本件審決は、特に原子エネルギー発生装置に関する知識が当時一般に充分でなかつたためと、特に審判官のこの方面の知識が不足であつたことによつて、必要以上に微細の点をあげて追求し、実施の態様に関する説明が不完全であるとか、実験的証明がないとか、単に抽象的理論乃至希望を羅列したに過ぎない、とか認定したが、これらの事項の詳細は、当時すでに原子エネルギー学界において論文その他により既知に属し、ことさらこれを詳細に明細書中に羅列する必要はなかつたものである。かかる点の記載が不足であるとの理由をもつて本件出願を拒絶すべきものと審決したことは、本件明細書を判読了解する知識の欠乏に基くものといわれても、やむを得ないところである。

(三)  以上によつて明らかなように、本件審決は、審判官が本件出願の内容を理解する技術的知識を欠き、原子エネルギー発生装置の名称を過大視して、恐怖心にかられた結果、いかにしても本件出願を拒絶せんと努めたものといわざるを得ない。他に本件出願前本件発明の新規性を阻却すべき、なんらの有力な証拠を提示してないことは、右の事実を裏書するものである。

また、抗告審判において、初審の査定が果して正当になされたかどうかを審理すべきであるかにかかわらず、一言もこれにふれるところがなく、かえつて、あたかも初審のごとく出願を拒絶するのに汲々たるごときは、法の適用を誤つたものといわなくてはならない。

現今、原子エネルギーに関する一般常識は非常に発達し、強いて甚しく恐れるにも及ばないものであるから、本件出願につき拒絶の理由、すなわち出願前公知の材料を発見し得ない場合には、これを公告すべきものと決定するのが至当であつて、万一明細書の記載に不備の点があれば、訂正を命じて完全なものとするのが審査の常法であり、その途を講じないで、いたずらに出願を拒絶しようとすることは、違法の措置であるといわなくてはならない。

五(一)  本件抗告審判の審決のあげた拒絶理由は、すでに原告の指摘したように、原子炉の安全運転ならびに使用材料の精製等に関する常識が出願当時いかなる程度まで進歩していたかを深く調査せず、かつ本願のような原子エネルギー利用に関する予備知識が乏しかつたための拒絶理由にほかならない。本件出願のされた一九四〇年五月当時すでに審判官の疑問とした点はすべて専門家によつて解決され発表されていたから、原告はこれを微細に説明する必要はないと思料した。しかるに、審判官は明細書中にかかる説明が不足であるから発明が未完成であると断定したことは、斯道の常識が足りないことを暴露するものにほかならない。

(二)  被告は、明細書の訂正通知を発し得るのは明細書の記載が不明瞭、不完備の場合に限られる、と主張するが、本件発明者らは、当初の明細書には当時の常識において周知の事項を省略したが、審査官および審判官の判断を容易にするため、のちに説明を補足しただけであつて、新規事項の加入又は要旨変更とならないことはいうまでもない。被告は、本件明細書の内容が非常に漠然たるものであつた、ともいうが、原子力に関する知識が充分にある人にとつては、これで発明の内容は充分に理解できるものと信ずる。

(三)  本件発明の実施について、およそ起り得べきすべての災害を考慮した対策や、材料を完全に精製するような点については、本件特許出願当時すでに種々の方法が公知に属しており、新規な特殊な安全装置などは、それぞれ別個の発明を構成すべきものであるから、それをことごとく本件特許明細書に記載しなければ、本件発明が完成しないということはできない。

要するに本件審査官および審判官は極力本件出願を拒絶しようとして努力したが、有力な公知材料を見出し得ないため、極端に明細書中の不備を指摘し、これに対して出願人の差し出した詳細なる説明を、すべて、あたかも重要部分の変更と独断して審決したのであつて、違法であるといわなくてはならない。

(四)  明細書中に実施に必要な事項を故意を記載しないときは、審判で特許を無効とする旨の規定があるが、本件においてはそのような事実はない。審判官が要求したきわめて厳格な条件は、本件発明の実施に関して特に必要となることではなく、すでに当時原子エネルギーの平和利用につき、当然必要とせられ、研究ずみの事柄であつた。

(五)  被告は、本件審決は発明の新規性を問題にしているのではない、と主張するが、そのいう意味は、本件発明に新規性があるかないかは関知しない、というのか、あるいは新規性を阻却すべき公知事実はないから、これを提示しない、というのか、明らかでない。かようなことは、発明の新規であるか否かを判断すべき審査において、必要な一要件を全然閑却したわけで、審理をつくさなかつた違法のあることが明らかである。

六(一)、本件審決において、審判官は、「本件発明は未完成であつて、その実施の態様に関する説明がなく、全文の記載が抽象的で之を産業上に利用するには更に研究を加え数多い困難を克服せねばならないから、産業上直ちに利用することができない。」と断定したが、これらは本件明細書の次のような記載を無視したものである。

本件出願当初の明細書は、当時日本における出願代理人に適当な術語の知識が不足であつたため、反訳上不備な点があつたが、昭和二七年一月一七日附訂正明細書においては、これを修正するとともに、審査官が不明確と称する点をでき得るかぎり具体的にし、かつ簡単化して説明し、かつ実施の態様を示すため具体的構造の略図を補充した。最後に昭和三一年六月二三日附訂正書をもつて、本願発明の「方法」を「装置」と訂正し、かつ本願の要旨を一層明確にしたが、これらの記載の間には、もとより要旨変更と認むべき点は少しもない。

本件発明の要旨は、中性子の作用を受けて中性子を連鎖状に放射し得る物質塊(ウラニウム塊)の内部に、例えば水素又はヘリウムあるいは重水、炭素のごとく中性子の吸収力の弱い物質を導入し、ウラニウムの核分裂により放射される高速の中性子による衝撃力を緩和し、遅い中性子に減速、転換し、この減速剤と吸収剤とを交互に配列混合し、これによりウラニウムの核分裂の連鎖反応を阻止して爆発の危険を除去するとともに、この減速に際し発生せる高熱をボイラー等の普通の熱機関に導き、工業用動力に利用しようとするにあり、そのことは本件明細書に次のとおり明確に記載してある。

すなわち、右発明の理論ならびに実施態様はすでに本件出願当初の明細書(甲第七号証の二)に詳細に記載されていたが、昭和二七年一月一七日附訂正明細書(同第八号証の二)において、これをさらに具体的請求範囲として理解に便ならしめ、また、これに添附の図面(同号証の三)第一図ないし第一一図は、当初の明細書に記載の事項を図示説明したもので、これは本件出願前に本件発明の着想と実施可能条件とを究明する研究段階において使用した実験装置を図示したものである。そして、その第一二図および第一三図は、ウラニウム等の連鎖反応を減速し、その工業的利用を可能にする手段を具体的に図示説明したもので、このように連鎖反応を減速させて危険の生じない速度で核分裂反応を緩慢に抑制しつつ継続させれば、なんらの危険性なく高熱源が得られ、この際の発生熱を伝導又は対流によりボイラーに誘導すれば、産業上利用することが可能であることを説明してある。

最終訂正明細書(甲第一〇号証の四)も亦要旨明快であり、これを前示各明細書、図面と比較対照すれば、本件発明の要旨が終始一貫して開示されていることが明らかである。

これらの記載を検討するときは、審判官の前示認定の誤つていることは明白であるといわなくてはならない。

(二)  本件審決の、本願明細書には原子炉の安全運転に必要な事項の説明が欠けている、との認定も事実と相違し、これを理由として、本件発明を産業上直ちに安全に利用できない、としたことは、旧特許法第一条の適用を誤つたものである。

(イ)、ウラニウムの連鎖反応を遮断するか、制限して反応を爆発にまで発展することを回避する方法の原理は、当初の明細書中発明の詳細なる説明の初めの部分(本件記録中の甲第七号証の二の写第二頁六行目ないし第四頁一一行目)に記載してある。

(ロ)、中性子の放射による連鎖反応の遮断あるいは制限する成分の使用態様および反応の遮断又は制限材料の混合あるいは構成方法についても右明細書の前記(イ)の部分につづく部分(同じ写の第四頁一二行目ないし第六頁七行目)に記載してある。

(ハ)、かかる成分をウラニウムと混在させてウラニウム等の中性子の吸収による発熱作用とウラニウム分子の間に介在させた減速物質により連鎖反応を遮断あるいは制限して連鎖反応が爆発にまで発達することを阻止し、この際に発生する高熱をボイラーに導き熱源として利用する原理の説明は、昭和二七年一月一七日附訂正明細書添付第一二図、第一三図および本文(甲第八号証の二、三)中に詳細に記載してある。

本件発明は中性子の吸収剤と遮断剤とを中性子の放射される径路上に交互に配列又は混合すると、遮断と吸収とがくりかえされ、連鎖反応は適度に抑制され、あたかも機械動力における循環サイクルのごとく連続操作が可能であることを、実験装置によつて確かめたうえ、本件出願に及んだもので、この実験装置を前記訂正明細書添付団面(甲第八号証の三)中第一図ないし第一一図に示して、具体的実施の態様を説明してある。したがつて、審決が、本件発明に関し危険防止装置の説明が欠如することを理由として、本件特許出願を排斥したことは、事実と相違するものといわなくてはならない。

(三)  さらに、本件審決は、本願発明は原子燃料等について、「夾雑物の程度」、「純度」、「材料の適否の判定」、「化合物形態の使用方法」、「ウラニウムと水素化合物との混合方法」、「ダンパー及吸収剤の量の決定方法」、「ウラニウムの臨界質量及その散乱物質の密度との関係」、「遠隔制御の実際方法」等の実施上の具体例の記載が不足するから、本件発明は未完成である、と認定したが、右認定は旧特許法第一条の適用を誤り、同法第三二条に規定する条約に違反する点において、違法である。

(イ)、本件発明において使用する諸物質の純度については、ダンピング・リクイドとして純度九九・六%の重水を用いることの説明以外にウラン、黒鉛、ベリリウムの純度および夾雑物として禁忌すべき物質について記載していない、と指摘された点については、出願前物理学界においてすでに解決されたことで、使用材料が高純度を要求されることは、本件出願前より当該学界において一般に知られていた事柄である。このような発明実施について一般に知られている事柄の説明が不足することを理由として、本件発明が未完成であると認定するのは、違法である。

(ロ)、次に中性子の減速剤および吸収剤としていかなる物質をいかように使用するかが記載してない、という点については、これらの点は昭和二七年一月一七日附訂正明細書(本件記録中の甲第八号証の二の写第七頁一二行目ないし第一八頁五行目)に記載されているし、ウラニウム塊中に導入される吸収剤の量は拡散連鎖の発生を阻止せざる速度とすることおよび導入し得る最大量の決定方法も同訂正明細書(同じ写の一〇頁七行目ないし第一一頁五行目)に公式をもつて説明されてあり、これにしたがつて容易に計算し得る態様にある。

(ハ)、また、同訂正明細書の前記につづく部分(同じ写の第一一頁六行目ないし第一八頁五行目)には、吸収成分の量と所望安定度における温度との関係、ウラニウムの臨界質量およびこれと散乱物質の密度との関係、エネルギー発生装置の作動、停止、始動の際の臨界条件の制御、始動制御および停止装置を遠隔制御することが、すべて記載されてある。

また、最終訂正明細書(甲第一〇号証の四)にも、その全文に発明の要旨および実施の際の具体的条件等が詳細に説明してある。

したがつて、例えば遠隔制御の実際方法としていかにするかは、別個の発明に譲つたのであつて、本件審決の示唆するように、いかなる発明者といえどもその発明を出願する際に微細に設計事項の範囲まで説明しなければ発明を完成したと認められないとすれば、現在日本において許されている特許の大多数は発明未完成として拒絶されなければならない。

したがつて、本件発明にかぎり、不当かつ不必要に厳重な条件を案出して出願を拒絶したことは、旧特許法第三二条に規定する条約第二条第一項において保証された「各同盟国民は内国民と同一の権利および利益を享有し得る」との条項に違反して、原告にかぎり内国民と差別的不当かつ苛酷な条件をもつて審査し、その出願を拒絶したものというべく、違法であるといわなくてはならない。

(四)  元来本件は万国工業所有権保護同盟条約第四条の規定に基き西暦一九三九年五月一日附フランス国出願による優先権を主張して、昭和一五年五月一日当時の特許局に出願したものである。これに対し、審査官は、昭和一七年一一月一六日附をもつて訂正指令書(甲第一九号証)を発したが、右指令の内容は、明細書中当時の工業知識では判断しがたく、説明不充分と認められた諸点を補充し、工業用に利用する態様およびさらに実施例をあげて説明すること等を命じたものであつて、このような説明を補充しさえすれば、他に拒絶の理由なきためにその出願は許される状況にあつた。しかるに、右出願回復後の拒絶理由は、原告に対し前記のとおり差別的不当かつ苛酷なる条件を案出し、出願を拒絶したもので、これによれば、戦後従来と別異の審査基準が採用され、原子工業の権利の設定の阻止を目的とする行政上の配慮が一貫して作用しているものと考えざるを得ない。

本件審決が、旧特許法第一条の適用を誤り、同法第三二条の規定する条約に違反することは、明らかである。

七(一)、本件発明は、原子力発生炉に関するもので、特にその心臓部たる中性子の連鎖反応の設定を行う技術に関するものである。

原告は、一九三九年の初めに本件発明者らによりなされた多数の原子力発生に関する発明中、次の五件の特許出願をフランス国に提出し、それに相当する出願を米国その他約五〇カ国に提出し、その中二件(ケースⅠおよびⅡ)だけを日本に出願した。本件はケース1にかかるものである。

ケース

発明の名称

フランス特許出願番号

および出願日

アメリカ特許出願番号

および出願日

エネルギー発生装置

第四四五、五六七号

一九三九・五・一

第三二八、一六〇号

一九四〇・四・五

エネルギー発生装置の安定化方法

第四四五、五七九号

一九三九・五・二

第三二八、三七二号

一九四〇・四・六

爆弾

第四四五、六八六号

一九三九・五・四

第六六六、一八二号

一九四六・四・三〇

エネルギー発生装置の改良

第四五一、一三二号

一九四〇・四・三〇

第六六六、一八三号

一九四六・四・三〇

第四五一、一六八号

一九四〇・五・一

第六六六、一八四号

一九四六・四・三

そして、本件発明と同一の発明は、特許について審査を要せざる国においては、もちろん、厳格なる審査を行う多数の国においても特許された。その主なる国をあげれば、次のとおりである。

国名

特許番号

フランス

第九七六、五四一号

独逸

第九六六、九〇七号

ノルウエー

第六七、四三九号

英国

第六一四、一五六号

オランダ

第八六、九一三号

スエーデン

第一二五、一四八号

デンマーク

第七一、八二五号

カナダ

第五五〇、二七四号

(二)  そもそも、ニユートロン(中性子)が初めて知られたのは、一九三九年以前で、一九三四年ごろから科学者はウランを中性子で衝撃させ、その結果生ずる反応を研究しつつあつた。本件発明および関連発明のなされた一九三九年一月以前に、独逸のハーンおよびストラスマンはウラン原子を中性子で衝撃すると分裂して低原子量の核を生成することを発見し、これを「核分裂」と定義命名した。これが契機となつて、現今一般既知のごとき原子エネルギー時代を招来し、多数の原子核科学者は種々の実験を試みたが、その中に本願の発明者であるジアン・フレデリツク・ジヨリオ・キユーリー教授がいた。

ジヨリオ教授は、当時フランス大学の原子科学研究所の所長であり、他の中性子専門家であるジアン・アンリ・ハルバンおよびレウ・コワルスキー両氏と協力し、共同して、本件発明を完成した。

本件発明者らは、核分裂工程中に発生する新規の中性子の存在の物理的証拠をまず探究した。もし発生する中性子により引き続く核分裂を起し得るとするならば、中性子連鎖反応を生じ得るものと考えたのである。そして、そのような中性子の存在を発見し、その結果が一九三九年三月一九日発行の雑誌「NATURE」に発表した。その他彼等の計画した多数の実験中最も意義のあるものは、新規に発生した核分裂中性子のエネルギーレベル又は速度を決定することであつた。これは核分裂を起す中性子の効率は遅い中性子に対し最大であることが知られていたからである。また、他の実験により一回の核分裂により生ずる中性子の概略平均数を計算の結果一より大なることを発見し、これを発表した。これら完全な実験から得た知識により本件発明者らは、原子炉操作上のすべての科学的原理を会得し、分枝的中性子の連鎖反応を生ずる装置の建造をいつでも始め得る状態であつた。すなわち、単位時間に生ずる核分裂の数は時間とともに漸進的に増加し、全体のニユートロン・フラツクスは、装置から取り去られる熱量によつてみ制限し得るような原子炉をいつでも建設し得る準備ができ、かくして原子核分裂反応を開始するに要するエネルギーよりもはるかに大なるエネルギーを発生することができることを確かめた。これは以前理論的に全然不可能とされたことである。

ところで、原子炉の建造にあたつては、多量のモデレーター(中性子減速剤)、すなわち、水素、重水、ベリリウム、炭素又は酸素を必要とする。これら多数の材料を入手して事業を開始するためには、フランス政府当局の意向は、発明者に特許をとらせるにあつた。そこで原告は一九三九年五月一日、本件特許をフランス国に出願し、万国工業所有権保護同盟条約のもとに、日本その他約五〇カ国にも特許出願をした。そして、これらの特許出願にかかる権利は、すべてフランス国に譲渡されたのである。

一九三九年の初夏、発明者らは数トンのウランを入手し、一九四〇年四月までにフランス政府は世界唯一の重水の商業的製造国たるノルウエーから、予備試験の結果最も便宜なモデレーター材料の一種であることを確かめられた重水を入手した。そして、一九四〇年の試験の結果原告の最初の原子炉が有効に作動することが確認されたのである。

一九四〇年六月ドイツ軍のフランス侵入のため、ジヨリオ教授、ハルバン教授およびコワルキー博士は当時入手した重水およびその説明をたずさえて英国にわたり、重水を使用してパリで研究した試験を完成しようとした。ハルバンおよびコワルスキー両氏により酸化ウランと重水とを使用する試験を完了し、本件特許出願にもとづく結論を確認したので、両氏はこの試験の報告を同年一二月に発表した。この試験の重要性は、発明者の処女原子炉の操作が可能であることを立証したかぎり、分枝的連鎖反応を達成したことにひとしく、本発明の実施可能性を最も多くの懐疑的科学者をも満足させるように明確に説明したことにあつた。しかし、不幸にもドイツ軍のフランス進駐のため、ならびにノルウエー占領による重水の入手困難のため、本件発明者らの最初の原子炉の建設は中絶せざるを得なかつた。

一九四一年中、米・英両国政府はウランの計画につき考慮したが、当時の急用は爆弾にあつたので、超爆弾を造るのに全力が注がれ、動力発生のために後れ中性子を使用する、制御した分枝的連鎖反応は、目下の戦争のために直接関係がないものと考えられた。

以上のごとき事情のため、本件発明がなされてからその発明により当初の原子炉が建設されるまでに、甚しき遅延をきたしたが、いつでもこれを建設し得る程度に達していたことは、判然としている。要するに、所要材料を適当に入手することができなかつたため、実際の建設が遅れたわけで、原告が最初に出願をしたときに、その知識に欠陥があつたためではない。しかも、出願当時重水も充分高度の純度を有するものが所要量入手できる状態にあり、かつ高純度のグラフアイトも所要量容易に入手できる状態にあつたから、戦争等の事故がなければ、この発明を充分実施し得る状態にあつたもので、発明は充分完成されていたのである。また、黒鉛および重水の純度は充分高く良好なものが相当量入手できる状態にあつたから、これらを一々明細書に記載する必要がなかつたことも、明らかである。

およそ、新規の発明を実施するためには、発明者の多大の知能を必要とすること、もちろんであるが、これを全部明細書に記載し得るものではない。その実施にあたつては幾多の技術指導(know how)を要すること、当然である。

(三) 本件特許出願が当初フランス国になされた当時、原子力エネギーに関する研究が相当程度に進歩し、かつ公表されていたことは、一九三九年四月発行の雑誌「NATURE」第一四三巻第六八〇頁(甲第一号証の二)および同年三月発行の「L’ACADEMIE DES SCIENCES」の報告書第八九八―九〇〇頁(甲第二号証の二)の各記事によるも、明らかである。

また、原子力発生に利用される材料等についても、当時すでに相当研究せられ、文献に発表されたものが多く、例えば、一九三五年一〇月米国特許第二、〇一八、四七三号「ベリリウムおよびアルミニウム化合物の回収方法」(甲第一五号証)、あるいは一九三九年九月米国特許第二、一七三、五二三号「鉱石からウラニウムおよびバナジウムを採収する方法」(甲第一六号証)があり、これらは単に一例に過ぎないが、材料の精製に関する文献はなお多く存在し、この方面の技術常識は大いに発達しており、所望の材料はほとんど自由に得られる状態にあつた。

本件と同一発明につき他国にした特許出願はいずれも許されていること、前に主張したとおりであるが(甲第三号証はそのうちの英国特許第六一四、一五六号、同第四号証はカナダ国特許第五五〇、二七四号、同第五号証は独逸国特許第九六六、九〇七号にかかるものである。)、これらはいずれも本件出願と同一のフランス国特許出願の発明にもとづくもので、最初の明細書に対し各国の形式に適合するよう修正した点はあるが、審査上字句の訂正を加えた以外は、だいたいそのまま特許された。ことに独逸国においては、長い論議の末、特許さるべきものとして出願公告になつたとき、異議申立があつたにかかわらず、特許された。これら諸国においては、わが国におけるごとく、「本願の発明はそのまま直ちに産業上に利用し得ないもの」とは思われず、また、「明細書全文の記載が抽象的で之を産業上に利用するには更に研究を加え数多の困難を克服せねばならない。」とも思料されず、充分新規有益な発明として特許されているのである。

八、以上の理由によつて、ここに、違法な前記審決の取消を求める。

第二  被告の答弁

被告指定代理人は、主文第一、二項どおりの判決を求め、次のとおり答弁した。

一、原告主張の請求原因事実中、当初の本件特許出願から、その明細書につき原告主張の各訂正を経たが、結結右出願の拒絶査定に対する本件抗告審判の請求は成り立たないとの審決がされ、その謄本が原告主張の日原告代理人に送達されたこと、ならびに右特許請求の範囲および右審決の内容がいずれも原告主張のとおりであること(請求原因第一ないし第三項記載の事実)は認めるが、右審決が違法であるとして原告の主張する諸点については、これを争う。

二(一)、およそ、拒絶査定に対する抗告審判の段階において原査定の理由と異なる拒絶理由を発見したときは、その理由のみをもつて抗告審判請求を排斥すれば足り、原査定の拒絶理由について判断する必要はない。このことは昭和六年(オ)第三〇九二号、昭和一八年(オ)第六七二号各大審院判決によつても明らかとされているところである。したがつて、本件抗告審判の審決が原拒絶査定の理由の当否にふれることなく、原告の抗告審判請求を排斥したことには、なんらの違法がない。

(二)  特許庁においては、一般に出願特許明細書に訂正通知を発し、不明瞭、曖昧な点や誤記を訂正させていることは、争わないが、この訂正通知を発し得るのは、明細書の記載が不明瞭、不完備の場合に限られている。本件出願におけるように、当初から明細書に重要なことが記載されていないのに、この欠けている重要事項を後日訂正によつて記入するよう指令を発することは、要旨変更を慫するにひとしく、許されないものといわなくてはならない。したがつて、本件抗告審判において訂正指令を発しなかつたことは相当であつて、なんらの違法はない。

特許庁では出願された各々の発明を、それぞれの出願日を基準として正しく評価し、許否の決定をしなくてはならない。したがつて、後日内容に重大な変更を加えるようなことは、絶対に許さるべきではない。本件抗告審判において、明細書の内容が非常に漠然たるものであつたにもかかわらず、訂正指令を発しなかつたことは、この理由からも正当というべきである。

(三)  そもそも、特許明細書中、発明の詳細なる説明の項には、特許請求の範囲の項に盛られた抽象された発明思想が、実際にどのように実施に移されるかを説明すべきで、特許請求の範囲は、この実証的基盤の上に立つて、はじめて不動のものとなり得るものである。この基盤が問題を具体的に解明したものでないときに、特許請求の範囲の記載が空文、無力化されるのは当然のことである。

本件抗告審判においては、明細書中のあらゆる記述に注意を払つて審理し、その結果安全操作のための諸条件が工業的発明を構成する上に重要であると認めたので、これらの点について記載を欠く本願の装置は旧特許法第一条にいわゆる工業的発明を構成しないと断定したのである。もし原告において、出願当初から、本願の装置についておよそ起り得べき災害を完全に制御し得るような実施の態様を実際に知得し、頁数をおしむことなく明細書中に記載しておけば、その明細書の内容は、特許請求の範囲記載の概念が発明を構成するものであることを強力にバツクアツプしたであろう。

(四)  特許明細書に期待さるべき記載の完全さは、国が特許制度を制定した趣旨からみても重要である。発明者の提出する特許明細書は、発明者と国との間の排他的独占権授受の契約における契約書とみることができ、また発明者が特許権という権利を得る代償とし発明内容を発表する手続でもあるから、それが漠然たるものであつてよいわけがなく、かえつて、いやしくも発明の実施に必要な諸注意事項や諸条件を、出願時に知得した範囲で、煩をいとわず明細書中に詳述すべきである。原告はこれらの点につき、本願における使用物質の純度、精製方法その他の微細部分は、本件出願当時原子エネルギー学界において論文その他により既知となつていた、と主張するが、それならば少なくとも審決に指摘された諸事項については、文献名を示して明細書中に充分説明すべきであつた。それにもかかわらず明細中にこれらの事項について説明されていなかつたことは、原告の前記主張がなんら根拠をともなわないものであることを立証するものといわなくてはならない。旧特許法施行規則(昭和三五年通商産業省令第一〇号で廃止された大正一〇年農商務省第三三号をいう。以下同じ。)第三八条には、発明の詳細なる説明の項には実施の態様を記載すべし、と規定されており、また旧特許法第五七条には、明細書中に実施に必要なる事項を記載せず、そのためにその実施が困難ないし不能となつたときは、審判で特許を無効とする旨規定されているから、特許法は、当然最初から少なくともそれによつて実施が困難ないし不能でないような実施例その他の詳細な説明を要求していることが明らかである。

以上のように、明細書は出願当初から本質的に完全さをもつものでなければならず、この点についての本質的な欠陥のある場合には、それなりに審査しなければならないものといわなくてはならない。

(五)  原告は、本件審決が新規性を阻却すべきなんらの証拠を示さないでしたことを非難するが、本件審決は、本願発明の新規性を問題にしているのではないから、そのために証拠を呈示する必要はない。

また、特許出願にかかる発明がいわゆる工業的発明を構成しているか否かは、もつぱらその出願当初の明細書により正確に評価しなければならないから、出願時以降の一般知識水準の向上に依存し、これによつて明細書の不完全さを補わんとするがごとき原告の主張は失当である。

三(一)、原告は、出願当初の明細書および各訂正明細書中に、本件発明を産業上利用し得る方法を記載してある、と主張するが、これらの明細書には、本件発明を実施するにつき必要な諸説明が欠けており、客観的にみるとき、本件発明を産業上安全に利用できるものと認めることができない。

原告は、また、本願の方法は原子炉の安全運転に関するものであつて、安定化原理については明細書および図面に詳述してあるから、「本件発明には安全運転に必要な記載がない。」とした審決の認定は誤つている、と主張するが、原告の議論をもつてすれば、本件発明はそれ自体安全なものであるから、安全運転の説明は不必要であるとの意に解せられ、それこそ誤つているといわなくてはならない。明細書としては、平均技術水準にある専門家が、およそ起り得べき危険性があるとみなしそうなことについて、充分な記述をすべきものであつて、もしこの記述が欠けているときは、発明の目的がいかに安全をめざすものであつても、客観的に安全なものとはだれも認めないであろう。被告は、本件発明の装置の安全運転のために、廃棄物処理、遠隔制御については、当然明細書中に概説すべきものであると信ずる。このことは、英国のウインズケールの原子炉の大惨事、さらにはカナダのチヨークリバーのNRX原子炉やユーゴースラヴイアの原子炉の大事故にかんがみても必要なことが明らかであろう。

(二)  被告が、本願明細書中には実施に必要な説明が欠けているばかりでなく安全運転の説明がないとする、その理由については、審決に具体的かつ詳細に示されているとおりであるが、これにさらに附加説明すれば、次のとおりである。

まず、本願当初の明細書にも、訂正明細書にも、なる公式について、各文字にはいかなる数値を代入すべきやについての説明がない。

また、減速物質として使用すべき黒鉛や重水の純度はきわめて重大であるにかかわらず(黒鉛中一〇〇万分の一の硼素を含んでいても減速物質として役に立たず、重水中に軽水が含まれる程度によつて同様に減速物質として役に立たない。)明細書中にこれらのことについて全く説明していない。

次に本件の装置ではウラニウムと減速物質を完全に混合する必要があると述べているが、どのようにしてウラニウムと水素、ヘリウム、水蒸気等とを完全に混合し得るかが説明されていない。そして実際にはウラニウムと減速物質とは不均質な構成をとらざるを得ないと認めれ、したがつてこれらの所要量も明示しなくてはその装置は原子炉として働かせることができないのに、これらの所要量が明らかにされていない。

以上のほかにも、原子炉より熱を得るために使用する冷却物質、配管材料、構築物質は、いずれも中性子を多かれ少なかれ吸収するはずであるから、この吸収の度合を充分明らかにしなければ原子炉の安全運転は不可能であつて、たとえ原子炉を構築しても破壊をおこしたり、その他の危険が生ずるおそれがある。

原子炉の運転には分裂の瞬間より少しおくれて発生する中性子が原子炉の運転を容易にしていることは、現在学者に認められているところであるが、本件明細書ではこの時おくれの中性子の発生に基く原子炉の制御方法について全く記載されていない。したがつて、本件の装置は原子炉の安全運転の見地からみてすこぶる不備である。

これを要するに、人類の福祉に貢献せんとする発明そのものの本質からみて、単に原理の面の成功のみをもつて発明が完成されているとする原告の主張は失当であるといわなくてはならない。

(三)  特許庁に差し出した書類等が不明瞭または不完備な場合にその訂正補充を命ずべきことについては、旧特許法施行規則第一一条第一項に規定されていたが、これは当該出願について拒絶理由を発見しないときのことであつて、拒絶理由を発見したときには、その拒絶理由を通知すべきことは、旧特許法第七二条に明定するところである。

また、特許明細書に記載してない事項は、発明者が要件として認識していなかつたものと認めざるを得ない。

上述してきたような重要事項を説明しないことは発明の実施を不能又は困難ならしめるもので、旧特許法第五七条第一項第三号の規定により、特許無効の原因ともなるのである。原因ともなるのである。原告は、本件が数値で説明してある一、二の事例を援用して、本件明細書の完全性はそのすべての記載を綜合判断して認定すべきである。

原告は、さらに、本件審決は条約違反である、と主張するが、本件審決は、特許法の規定にしたがつてなされたもので、条約に違反しているようなことはない。

なお、英・加・独三国その他の国で本件発明が特許されたということも、本件明細書の不完全さを否定する材料とすべきものではない。

四、原告は、戦後従来と別異の審査基準が採用され、原子工業の権利の設定の阻止を目的とする行政上の配慮が作用している、と主張するが、そのようなことは事実無根であつて、本件審決は充分な科学的根拠を有するものである。

五、要するに、本件審決には、これを取り消すべき、なんらの違法の点がない。

第三  証拠(省略)

理由

一、原告主張の特許出願につき、原告主張のとおり明細書の各訂正を経たが、結局右出願の拒絶査定に対する抗告審判の請求は成り立たない、との審決がされ、その謄本が原告主張の日原告代理人に送達されたこと、ならびに右特許請求の範囲、出願審査の経過および右審決の内容がいずれも原告主張のとおりであること(請求原因第一ないし第三項記載の事実)については、当事者間に争がない。

二、原告は、まず、本件抗告審判の審決が、原拒絶査定の理由の当否を判断することなく、ただちに独自の理由によつて本件特許出願を拒絶すべきものとしたことをもつて、違法の措置であると主張するもののようであるが、およそ拒絶査定に対する不服の抗告審判の段階において、原査定に示されたのと別個の理由によつて当該出願を拒絶しようとするときは、原査定の拒絶理由の当否を判断するまでもなく、直ちに新な理由によつて審決することができるものと考えるのが、抗告審判の制度の趣旨(拒絶査定に対する不服の抗告、審判は、当該出願の再審査の性質を有するものと解すべきである。)に照して相当であるというべく、ただしそのときは旧特許法第一一三条、第七二条の規定により、出願人に対してその新たな拒絶理由を通知し、期間を指定して意見書提出の機会を与える必要のあること、いうまでもないが、本件抗告審判の審決に示された拒絶理由について、かかる手続は履践せられ、原告もこれに対する意見書を提出したことは、原告の自ら主張するところであるから、本件審決は、この点につき、なんら違法としてとがむべきかどはないといわなければならない。

また、原告は、原拒絶査定において、原告提出の図面は出願当時完成せるものと認められない、とした点、その他原査定説示の理由は不当である、と主張するが、本件は抗告審判の審決の取消を求める訴であつて、その審決の内容となつていない原査定の理由の当否は、本件において判断する必要がなく、特に原告が訂正明細書に添附して提出した図面が出願当時完成したものであるかどうかのようなことは、本件抗告審判においては、右訂正をもつてあえて要旨を変更するものと認めず、その訂正明細書(さらにこれに対する再度の訂正をも認容して、)の記載によつて、原告出願の発明の要旨を認定し、特許の許否を判断したものであること、当事者間に争のない本件審決の理由の記載に徴して明らかであるから、もつぱら原査定の理由に関する原告のこれらの主張については、特に判断を加うべきかぎりでない。

三、原告は、審決が本件発明をもつて、実施の態様に関する説明がすこぶる不完全で、そのまま直ちに産業上に利用することができないから、旧特許法第一条にいう工業的発明と認めがたい、としたことをもつて、審理をつくさず、理由を具備しない点の違法がある、と主張する。

本件発明の要旨は、請求原因第二項(三)に昭和三一年六月二三日附訂正書により明らかにされた特許請求の範囲として記載したとおりのエネルギー発生装置にあるところ、成立に争のない甲第一〇号証の二ないし四により明らかな、右訂正にかかる本件特許出願の最終訂正明細書(甲第一〇号証の四は、昭和二七年一月一七日の全文訂正明細書に昭和三一年六月二三日の前記訂正を施したもので、これを本願の最終訂正明細書とみることができる。)と真正の成立を認め得る乙第二号証(特許庁抗告審判官の依頼にもとづき科学研究所主任研究員杉本朝雄の作成した調査報告書)とを比較検討するときは、次の各事実を認めることができる。

そもそも原子炉が本件発明で意図されているように安全に、かつ工業的に利用し得るように作動するためには、次に記載するようないくつかの条件がみたされる必要がある。

1  原料に関する条件

天然トリウムは、いかなる減速物質と組み合せても、原子炉の原料にはなり得ず、今日では原子炉内にトリウムを入れ、元素変換によつてウラン―二三三なる原子核分裂性物質を作つて、これをさらに原子炉における原料として使用できることがわかつているが、トリウムだけ単独で使用することはできない。

天然ウランは、ある限度以上の化学的不純物を含有しなければ、原子炉の燃料として使用可能である。また、減速物質としては、純粋な重水、黒鉛、ベリリウムが使用可能である。しかし、ウランはもちろん、減速物質として使用できる黒鉛および重水の化学的純度はきわめてきびしく、例えば黒鉛の場合には一〇〇万分の一以上の硼素を含んでいると減速物質として役に立たず、重水の場合も、その中に含まれる軽水の割合が問題である。

しかるに本件発明の明細書には、ダンピング・リクイドについて純度九九・六%の重水を用いると説明するのみで、その他原子燃料およびモデレーターとして用いられるウラン、黒鉛、ベリリウム等の純度について明確な指示がない。

2 天然ウランと減速物質との配置およびその所要量に関する条件

天然ウランを原料とする原子炉は、いかなる減速物質と組み合せる場合にも、ウランと減速物質とを均質に混ぜた構成をとることができない。すなわち、ウラン化合物を重水に溶かすとか、黒鉛中に均質に分散させることはできず、必ず、不均質構成をとつて、ウランと減速物質とを分離して配置しなくてはならない。そして、この配置の仕方によつて、ウランおよび減速物質の所要量の最低値も変化する。すなわち、このように不均質配置にして、それに応じて要求される所要量以上のウランおよび減速物質を用いなければ、原子炉として働かせることはできないのである。

しかるに、この条件について、本件明細書には、不均質構成が必須要件として記載されておらず、また所要量についても、昭和二七年一月一八日附訂正明細書において示された重水所要量七二五立は明らかに過少と認められる。したがつて、前記(1)において示したような特別に純度の高い、特殊物質を大量獲得するための生産計画を立てることに困難をきたすこと、明らかである。

3 以上のほかにも、原子炉より熱を除去するためには、冷却物質(水、重水)、配管材料(鉄、アルミニウム、不銹鋼等)やその他の構築物質を原子炉中に導入する必要があり、これらはいずれも中性子を多かれ少なかれ吸収するものであるので、原子炉を設計する際には、これら物質による中性子の吸収の度合を考えに入れる必要があることは、もちろんであるが、さらに重要なことは、原子炉が作動を開始した際に発生する熱と強い放射線とによつて、ウラン、重水および上記の諸物質がいかなる変化をうけるかを知らないかぎり、原子炉の安全運転は不可能であつて、たとい原子炉を作つても、直ちに破損を起し、非常な危険を生ずるやもはかり知れない。本件明細書には、この点の配慮がはらわれたことが認められないから、工業的な装置の発明として不備であるといわなくてはならない。

4 最後に、原子炉の制御こそは、原子炉の安全運転において肝要であること、いうまでもない。そして、本件発明の型の原子炉においては、カドミウムのごとき熱中性子を強く吸収する物質を棒又は板の形にして制御に用いるのであるが、さらに重要なことは、分裂の瞬間より少し遅れて発生する中性子が原子炉の制御を容易にしていることである。この時おくれの中性子の原子炉の作動に対する影響が分つてはじめて原子炉が安全に運転できるわけで、本件出願発明に示されている温度による自己制御も多くの原子炉についてたしかに存在するが、これのみに頼ると原子炉の出力につねに変動が起つて、定常状態に保持することができない。したがつて、どうしても吸収体自身の挿入度合の変化によつて制御する必要があり、この時おくれの中性子の発生に基く制成方法について本件明細書に記述のないことは、原子炉の安全運転のうえから、きわめて不備というべきである。

これらの点を考え合せれば、本件発明は、その意図しているようなエネルギー発生装置の完成に一歩を進めたもので、構成においてきわめてすぐれ、その範囲において、将来人類の福祉に大いに貢献し得るものであつたにしても、その明細書に開示されている事項のみでは、果して天然ウランを用いた原子炉が作動し得るや否や、さらにこれを工業的に利用し得るように、安全に、かつ定常的に操作し得るや否やを判定することができず、当時の知識水準よりして、これを工業的に実施し得る程度に技術的に解決されているものと認めることができない。

原告が、本件明細書および添附図面中、これらの事項が説明されているとして指摘する各記載をみても、これら疑問とされた諸点が技術的に解明されたものとは認めがたい。

ところで、本件出願につき適用される旧特許法施行規則第三八条第三項は、明細書の記載事項として、「発明ノ詳細ナル説明ニハ其ノ発明ノ構成、作用、効果及実施ノ態様ヲ記載スヘシ」と規定し、また旧特許法第五七条第一項第三号は、特許の無効事由の一として、「特許発明ノ明細書又ハ図面ニ其ノ実施ニ必要ナル事項ヲ記載セス又ハ必要ナラサル事項ヲ記載シテ其ノ実施ヲ不能又ハ困難ナラシメタルトキ」をあげており、昭和三五年四月一日から施行されている現行特許法第三六条第四項に「……発明の詳細な説明には、その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者が容易にその実施をすることができる程度に、その発明の目的、構成及び効果を記載しなければならない。」と規定し、また、その第一二三条第一項第三号に「その特許が第三六条第四項……に規定する要件をみたしていない特許出願に対してされたとき」をもつて、その特許を無効にすることについて審決を請求することができる事由の一にしていることは、前記旧法の趣旨をいつそう明確にしたものであるというべく、したがつて、旧法の適用のある本件においても、明細書は、当該技術の分野において通常の知識を有する者がその記載にもとづいて、容易にその発明を実現することができる程度に実施の態様を記載しなければ、不完全であつて、結局旧特許法第一条にいう「工業的発明」を構成しないものといわなくてはならない。このことは、また、特許権が発明公表の対価的意義を有するものとされている点ならびに発明の開示によつて技術の進歩を促すという特許制度の理想から考えて、当然というのほかはない。

四、原告は、本件発明は、出願前実験的設備を完成し、工業的利用の可能性を確かめた結果特許出願をしたものである、と主張するが、そのような事実を明認するに足るなんらの証拠がない。

原告はさらに、本件特許出願当時原子炉の安全運転ならびに使用材料の精製等に関する常識は相当に進歩しており、審決が本件明細書の記載が不完全であるとして指摘する諸点のごときはすでに解決ずみであつた、と主張するが、この点につき原告の援用する成立に争のない甲第一、二号証の各一、二、三(一九三九年四月発行の雑誌「NATURE」および同年三月発行の「L’ACADEMIE DES SCIENCESの報告書)の各記事その他の諸文献に徴しても、原子炉の安全運転に関する理論はともかくとして、これを実現する技術に関する常識が当時そのように進歩していたとは認められない。かえつて、成立に争のない甲第二七号証(H・D・スマイス、原子爆弾の完成―スマイス報告―。これは、合衆国政府の企画による原子爆弾の発達に関する公式報告書である。)には、次のような記載のあることを認めることができる。

1  1.56……一九四〇年六月における知識の状態を総括的に述べよう。このころまでは、核分裂の重要な事実がいろいろと発見されて、学界に報告されていた。連鎖反応は実現されてはいなかつたが、その可能性は――少なくとも原理的には――明らかであつて、現実化の道も幾つか提案されていた。(二八頁末)

2  ウラニウムを入れた装置の臨界体積とは、核分裂により発生する自由中性子の量が、逸出および核分裂を起さない捕獲によつて失われる中性子の量とちようど等しくなる場合の大きさと定義される。換言すれば、大きさが臨界体積より小さい場合には、連鎖反応は――定義によつて――持続しない。原理的には、一九四〇年にも、臨界体積を計算することは可能であつたが、実際には計算中の常数が甚だしく不正確なので、非常にはばの広い推定値を採らざるをえなかつたし、臨界体積が大きすぎて(註、爆弾としては)実用には使えないという可能性もないとは言えなかつた。(三四頁下段)

3  2.23 一九四〇年の夏には、次の二項を実現するに原料がどれほど必要かということを、臆測するのも到底不可能であつた。

(1)  モデレーターを用いた連鎖反応(註、すなわち原子炉)

(2)  U二三五またはプルトニウムを純粋にするか或は少くとも濃縮して用いる連鎖反応爆弾

その当時は、爆弾の臨界体積としてU二三五の量一―一〇〇kという数字がふつうに与えられていた。(四二頁終りより四三頁上段)

4  2.36 次の事柄が確認された。(註、一九四〇年夏の知識として)

(1)  ウラニウムは核分裂を起し、それとともに多量のエネルギーが解放される。

(2)  その反応では、中性子が余分に自由になるので、連鎖反応を起す可能性がある。

このような反応が生ずるということも、それが爆弾として非常に重要な軍事上の応用を持つということも、今まで分つている如何なる原理にも矛盾するものではない。しかしこの考えは革命的なものなので、危ぶまれた。(四七頁下段)

5  4.13、4.14、4.15、4.16の要約

一九四一年七月ころ組み立てられた酸化ウラニウム約七トンを用いた炉は連鎖反応を起さなかつた。(六四、六五頁)

6  4.17 一九四一年の秋にフエルミがウラニウム分科会に報告したkooの値は〇、八七であつた。(中略)この増倍係数の値はもつと大きくできるということに全員の意見は一致した。しかし、はたして一より大きく(註、すなわち連鎖反応を起すように)できるかどうかということになると、誰も確信を持つてはいなかつた。(六六頁上段)

7  4.51 ……その後(一九四〇年六月より後)一八カ月の進歩を考察しよう。有形の進歩は大きくなかつた。連鎖反応はまだ成功しなかつた。U―二三五をU―二三八から相当量分離することはまだできず、Pu―二三九もごく少量しか作られていなかつた。金属ウラニウム、重水、ベリリウムおよび純石墨の大量生産は、多くはまだ議論の段階を出なかつた。しかし進歩はたしかにあつたのである。常数は一層精確に分つてきた。計算は検証され、一層拡張された。Pu―二三九の存在とその核の特性に関する推測が証明された。設計の問題、工程の有効度、費用、時間の予定なども多少研究された。最も重要なこととして、爆弾の臨界体積が実用範囲内にあることがほとんど確実となつた。概して問題が解決されるだろうという見込は、どの分野でも一九四〇年よりは増大した。(七七、七八頁)

これらの記述は、主として原子爆弾の完成についてなされていることは、いうまでもないが、本件発明の意図する原子炉の安全運転に関しても、本件発明の特許出願がはじめてフランスになされた一九三九年当時、当該技術の分野において通常の知識を有する者が、はたして本件明細書を閲読して、本件発明を実施に移し得る程度にその実際的常識が進歩していたかどうかというのに、これらの記述によれば、はなはだ疑問であつたといわなくてはならない。

のみならず、「スマイス報告」のこれらの記述によつても、原子炉の安全運転について核分裂の連鎖反応を生起させるために、その原料の臨界量(同書では臨界体積の語を用いている。)の決定が重要であることが明らかであるが、成立の争のない甲第七号証の二、第八号設の二、三、第一〇号証の四の本件各明細書および添附図面には、なんらこの要件に関する明確な規定がなく、その当初の明細書(甲第七号証の二)には「実際上他ノ条件カ総テ不変ナリトセハ連鎖ノ分枝作用カ最早ヤ無制限トナラサル臨界値カ物質塊ニ対シ存在ス『ニユートロン』ノ増加測定装置ヲ使用セハ物質塊ノ臨界値ハ相継ク数次ノ実験ニ依リ容易ニ推測シ得」と記載されているが、連鎖反応の可能性が認められながらも、その実現が困難であつたこと、前記スマイス報告の記述により明らかなとおりであることからすれば、右明細書記載のように、この重要な臨界量の測定ないし推定が、本件特許出願当時、数次の実験により容易に推測し得る程度のものであつたとは、とうてい認めることができない。この一点よりしても、本件明細書には旧特許法の要求する実施に必要な事項を記載してあるものと解することが困難であり、そのまま直ちに産業上利用することができるとはいえないものといわなくてはならない。

五、原告は、出願当初の明細書には実施に必要な事項を細大もらさず記載する必要がなく、それらはその後の実験研究により確かめ得られることもあり、実際にあたつて技術指導(know how)を要することのあるのは当然である、と主張し、新規特殊な安全装置あるいは遠隔制御の安全方法等のごときは、別個の発明を構成すべきものである、とも主張するが、およそ特許制度の究極の目的が技術の進歩を促すことにより人類の福祉を増進するにあることにかんがみれば、本件発明において上に指摘した諸事項のごときは、特許さるべき発明としての不可欠の要件というべく、とうてい技術指導あるいは別発明に譲らるべきものではない。なかんづく、本件発明にかかる装置の特質上、危険防止、安全確保の具体的手段こそは、特許発明を実施する上にきわめて重要であつて、これに関する開示が不充分であるとすれば、工業的発明をなしたものと認め難く、これをもつて人類の福祉に貢献したものとして、その対価たる独占利用の利益を享受させるには足りないものといわなくてはならない。

この点をさらに詳述すると、旧特許法第一条にいう工業的発明であるためには、自然法則を利用した技術的思想の創作であつて、産業上利用することができるものでなければならない。そして、産業上利用することができる技術的思想は、学者が理論的にその可能性を論証すれば足りる科学的思想とは異なり、社会的立場において、企業利潤とともに人類の福祉を追求する産業界において、安全確実に遂行されることを要件としており、理論的にその可能性が解明された科学的思想を産業上利用することができるよう工夫することが技術的思想であつて、この技術的思想の創作が特許権の対象として保護されるのである。これを本件についていえば、危険防止、安全確保の手段が具体的に明らかにされていない本件出願発明は、産業界において安全確実に実施するための要件を欠除したものであり、技術的にみて未完成のものというべく、これを旧特許法第一条にいう工業的発明をしたものとするには足りないものといわなくてはならないのである。

次に、前記のような明細書の不備は、訂正を命じて補充させるべきでなかつたか、の点であるが、成立に争のない甲第一九号証(昭和一七年一一月一六日附、本願最初の訂正指令)にも、「工業用ニ利用スルモノナリト説明セルモ、詳細ナル説明ナク、如何ナル工業ニ利用シ得ルモノナリヤ不明ナルヲ以テ、此ノ点ニ就キ詳細ニ説明スベシ」の一項があり、出願回復ののちにも、拒絶理由通知に対して再度明細書の訂正があつたが、いずれも要旨変更と認められず認容されたこと、前記のとおりであるばかりでなく、前記認定の明細書の不備な諸点は、発明の重要部分に属し、これが訂正は要旨の変更をきたすものといわざるを得ないから、特にその補充を命ずることなく、本願発明は旧特許法第一条の工業的発明を構成しないものと判断した本件審決は、そのことの故に、なんら違法とよばるべきものではない。

六、原告は、本件審決が本件発明の特許要件である新規性の有無につき判断しなかつたのは違法である、と主張するが、審決は本件発明は、その新規性の要件をそなえるかどうかを考えるまでもなく、そもそも旧特許法第一条の工業的発明というに当らないものであつて、その一点によつて特許さるべきものでない、と、認定したのであつて、右認定が相当であること、上来の説示によつて明らかであるから、原告の右主張も、また、採用することができない。

七、成立に争のない甲第三ないし第五号証(英国、カナダおよび独逸の各特許明細書)によれば、英国、カナダおよび独逸の三国においては、いずれも図面のない、かつ臨界量の具体値についての記載のない明細書によつて本件発明が特許されているもののようであるが、わが国とは法制、慣行、技術事情等を異にする他国の事例をもつてわが国における特許の許否を決定する基準とすることのできないこと、もちろんであつて、このように他国において特許されているからといつて、前記乙第二号証の鑑定意見等をくつがえし、本件明細書の記載をもつて、わが国において特許を与えるに充分な程度完備しているものと認めることはできない。成立に争のない甲第二号証の二(学習院大学豊崎光衛の鑑定書)および証人豊崎光衛の証言中にあらわれている、これと異なる見解は採用できない。

八、本件特許出願は、明細書中実施の態様に関する記載が不安全であつて、直ちに産業上に安全に利用することができず、旧特許法第一条にいう工業的発明につきなされたものと認め難いから、拒否さるべきものとした本件抗告審判の判断は相当であつて、原告主張のようにその判断の内容あるいはこれをなすにいたつた手続について、旧特許法第一条の適用を誤り、あるいは同法第三二条に規定する条約に違反する点をみいだすことができない。これに反する原告の主張はすべて採用できない。

原告の請求は理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担および原告のため上告の附加期間の許与につき行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第八九条、第一五八条第二項を適用して、主分のとおり判決する。

東京高等裁判所第六民事部

裁判官 入 山   実

裁判官 荒 木 秀 一

裁判長裁判官関根小郷は転任したので署名押印することができない。

裁判官 入 山   実

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